No.66(封建社会と教会の権威) :
「叙任権闘争の原因と結果とは?」
教会の世俗化が進むにつれて、聖職売買などの弊害が多くなり、聖職者の叙任
権の独占を狙う教皇グレゴリウス7世と国内でのそれを保持したい神聖ローマ(ド
イツ)皇帝ハインリヒ4世との間で、叙任権闘争が起こった。その結果、破門に追
いやられたハインリヒ4世は、1077年、カノッサで謝罪し(「カノッサの屈辱」)、12
世紀前半のヴォルムス協約により、叙任権は教皇のものとなり、国内の教会・修
道院の領地の承認は皇帝が行うことになった。
<評価の観点>
関心・意欲・態度:
教権と俗権のせめぎ合いについて、我が国の後醍醐天皇による建武の新政を想
起することにより、高い興味を持って学習に望んでいる。
思考・判断:
教権と俗権が初めて本格的に衝突した「カノッサの屈辱」が、中世ヨーロッパに特
徴的な、教皇権の強大化を象徴する事件であることを、的確に判断している。
資料活用の技能・表現:
フランスのほぼ全土に広がる、クリュニー修道院組合の発展を示す地図を見て、
当時のヨーロッパにおける信仰熱の高まりと、教会の世俗化に対する自浄運動
の盛り上がりを想像している。
知識・理解:
叙任権闘争が教会の世俗化を背景として始まり、「カノッサの屈辱」で教権に俗
権が屈服して、ヴォルムス協約でも教皇に有利な結果に終わったことについて、
基本的な知識を身につけている。